「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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スタンドアップ

2005年/アメリカ 監督/ニキ・カーロ
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弱者は弱者なりの生き方を探し出さねばならないのだろうか。ずる賢く、知恵を絞り、世渡り上手に生きていくことこそ、弱者の生きる道なのだろうか。ただ、牙をむいて立ち向かうことは、愚かなことだと?

私の答は、激しく「否」である。上のようなことを述べるのは「強者の理論」なのだ。あまりにも、人を見下した、驕った意見だ。これは、あくまでも私の個人的見解。

セクシャル・ハラスメントを受けた人に対して、「受けないように防護することも大事。つまり自分自身のリスク管理が足りない。」という人がいる。私は、何て冷たいことを言うのだ、と思う。その意見は間違ってはいない。だけども、それはセクシャル・ハラスメントをなくすための、第一の項目では決してない。なぜ、男は職場の女性に対して、そこが職場であるにもかかわらず、性的ないやがらせ、差別、いじめを行うのか、その根本を追求し、改善しない限り、セクシャル・ハラスメントはなくらない。それは、しごく真っ当な考えだと常々思っているのだが、なかなかこの「真っ当さ」に向かい合ってくれる社会にはならない。

この映画はセクハラが法的に整備されるきっかけとなった実話をベースにしている。シャーリーズ・セロン演じる主人公のジョージーは、鉱山で働くいているが、自ら男を誘っているわけでもないし、仕事がのろまなわけでもない。離婚して何とか自立して子供を育てねばならないのだ。それでもセクハラは起きる。その不当な扱いに異議を唱えても、誰も耳を貸さない。とりわけ不本意なのは、同僚の女性による反発であろう。こういうことは日常でもよくあること。女という生き物は徒党を組み、抜きんでる女性を嫌う。おそらく、このような傾向は生物的弱者として、DNAにすり込まれているのではないだろうか。それが女として生きやすい道なのだ。

シャーリーズ・セロンのひたむきな姿も良かったし、同僚のフランシス・マクドーマンド、父親のリチャード・ジェンキンス、母親のシシー・スペイセクなど脇を固める役者が非常に地に足の付いた演技で魅了する。特に、鉱山労働を断固として反対し、反駁し合っていた父親が娘のために立ち上がった時、私も心の中で拍手喝采を送った。時折挿入される工場の上空からのカットは鉱山労働の過酷さをうまく表現しているし、主人公と家族の問題なども非常にしっかりと描いている。セクハラに立ち向かうというモチーフが決して女のヒステリーみたいに見えないよう、実にじっくりと撮りきっているニキ・カーロという監督もすばらしいと思う。

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by galarina | 2006-07-25 13:50 | 映画(さ行)