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「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越ししました


by galarina
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引っ越しました

「シネ・ガラリーナ」は、goo blog「カーサ・ガラリーナ」にお引っ越しいたしました。

新しい記事はこちらから。

本ブログの内容も少しずつ、そちらへ移行します。
# by galarina | 2008-11-20 22:49 | 映画雑感

きみはペット

2003年/TBS

「若い男の子を飼うということ」
きみはペット_c0076382_18164990.jpg


放映時は、男の子をペットにするということが様々な物議を醸したようです。仕事に疲れたOLが若い男の子をかわいがる。いいじゃあ、ありませんか。この子は自ら「俺をペットにしてくれ」と転がり込んできたわけですからね。我が家のベルも鳴らないもんでしょうか。

携帯電話の出現以降、コイバナ系ドラマは本当につまらなくなったのですが、本作は大健闘。面白さのカギは、昔のラブストーリー、今のラブストーリー、それぞれに欠かせない王道テーマを両方バランス良く配合していることだと思います。前者は、「背伸びして憧れの相手を選ぶか、一緒にいて安心できる相手を選ぶか」。例えば「東京ラブストーリー」のヘタレ男カンチは背伸びする勇気が持てずリカを捨て、安らげる里美を選びました。恋愛ものでは、何度も何度も繰り返されるテーマです。本作では、憧れの相手が蓮見先輩、安らげるのがモモ。最終的にスミレがどっちを選ぶのか、最後までヤキモキさせられます。

後者は「恋愛と仕事の両立に悩む働きマンの現実」です。男性と同等に働き、残業し、仕事道を邁進する現代女性が、いざ恋人と二人きりになれば、彼氏を優しく包んであげるような女性らしさを要求される。そこに生まれる価値観のギャップが物語の面白さとなります。本作では、仕事はできる女「スミレ」を通して、恋愛のあれこれが面倒くさい働きマンの実体が見えてきます。

そして、マツジュン演じるモモのキャラクターについては、現代男性像を考えるに格好の材料だと思います。モモはヒモではないんです。誰かのそばにいたい。ナデナデして欲しい。最近、流行りの「草食男子」の先駆け的キャラではないでしょうか。そして、ナデナデすることで、スミレも安らぎを得る。ドラマの中盤辺りは、双方「癒されたい」欲求がまあるく収まる理想型のようにすら見えてきます。しかし、モモに自我が芽生えてこの理想型は破綻し始める。連ドラとしては、最終回に向けてうまい盛り上がり方です。ところが、迎えた最終回。私は全然納得できませんでした。

というのも、若い男の子をペットにするという、実に面白いテーマを投げかけておいて、「アクシデントによるめでたし、めでたし」という結末だからです。これは、当時まだマンガが連載中だったから、という枷があったからかも知れません。でも、やっぱり主人公は自分の道を自分で選択しなきゃならないでしょう。でないと、なんのために10回分のストーリーが存在するの?ってことで。ちなみに、私が望んだのは、モモを解放してあげて、蓮見先輩にきちんと告白する、というものでした。それができて初めて、スミレは恋に自立した女になれたんじゃないでしょうか。仮にテレビ局の思惑として、モモとのハッピーエンドになったとしても。それでもやっぱり、スミレが彼を選んだという展開にして欲しかった。「アンタは好きなバレエをとことんやればいい。お金のことは私に任せて」と留学先まで追っかけて、啖呵でも切ってくれれば、それはそれで面白かったのに。

それにしても「東京ラブストーリー」から時代は変わったと言え、やはり「安らげる相手」を選ぶという無難な着地点。何だかもの足りませんねえ。シチュエーションが奇抜なだけに、エンディングも「そう来たか」というくらいの驚きが欲しかったです。事故や病気、なんていわば反則ネタ。面白かっただけに、ことさら残念。まあ、回を追うごとに増していくマツジュンの愛らしさ。これについては、申し分なし。おかげで「花男」なんてミーハードラマも道明寺派ですっかりハマってしまいましたから。
# by galarina | 2008-11-13 18:23 | TVドラマ
2007年/アメリカ 監督/ポール・トーマス・アンダーソン

「セックスとドラッグを抜きにしてアメリカを見つめる」

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド _c0076382_1425767.jpg


「ノーカントリー」はもちろん、「ダークナイト」もしかりで、「悪」を巡る大作が、今年のアメリカ作品では目立ちました。邦画もですが、2008年の映画は豊作の年と言えるのではないでしょうか。重厚で見応えのある作品に恵まれた年のような気がします。

さて、「ブギーナイツ」「マグノリア」ですっかりやられた私ですが、今作のポール・トーマス・アンダーソン監督は敢えてドラッグとセックスを封印して、アメリカを描こうとした。その代わりに持ってきた題材が「石油」なのでしょう。

人間不信の男がばったばったと周りの人間を地獄に突き落とす物語かと思っていたら、予想を裏切られました。ダニーよりも、むしろポール。イーライを演じるポール・ダノがきっちりタイマン勝負を張っています。油田をバックに人々の神たらんとした男と、イカサマ宗教をバックに神たらんとした男のガチンコ対決に酔いました。「リトル・ミス・サンシャイン」でもニーチェに傾倒する寡黙な青年を演じていましたが、本作のキレっぷりは見事です。中盤、出番は少なくなるにも関わらず、ラストまでこのタイマン勝負は続きます。それは、スクリーンに映らなくとも、ダニエルが常にイーライの影に脅え、イーライを凌ぐために、己を奮い立てているのがびんびんに伝わってくるからです。もちろん、それを感じさせるダニエルの演技もすばらしいのですが。

「ノーカントリー」にしろ「ダークナイト」にしろ、善をあざ笑うかのような悪の存在を浮き彫りにしていますが、それは何かと対立的に描かれています。「ノーカントリー」では、なす術もない保安官がおり、「ダークナイト」では自己犠牲により立ち向かうバットマンがいます。しかし、本作では欲と欲との壮絶なぶつかり合いが延々と繰り広げられ、最後にはまるで子供のケンカのごとき殴り合いによる共倒れで終焉を迎えます。私はこのエンディングにおいて「ノーカントリー」で味わった虚脱感は感じませんでした。むしろ、ひとつの時代が幕を閉じた、これにてお終い、と言う印象です。

それは、このダニエルという男が私には終始嫌な奴に思えなかったことも大きいかも知れません。体を張って油田を掘り起こし、意地と虚栄で企業の差し向けるネクタイ族と対抗し、駆け引きの道具とはいえ幼子を引き取って育てたダニエルという男の人生。開拓者とも言うべきそのバイタリティに私はとても引きつけられました。しかし、そんな彼も最終的には自らの手を血に染めて、ケリをつける。それは決して褒められたケリの付け方ではないのですか、金も名誉も手に入れた人間が結局何者かに怯え続け、己の手を血に染めねば解決できぬ人間の業のようなものをまざまざと感じさせられるのです。油田の掘削シーンを始め、広大なアメリカの大地で繰り広げられる壮大な人間物語。存分に堪能しました。
# by galarina | 2008-11-11 14:17 | 映画(さ行)

リアル・フィクション

2000年/韓国 監督/ギム・ギドク

「チャレンジ精神」

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夢と現実。表の顔と裏の顔、などギドク作品に欠かせないテーマですので、ギドクが好きだという方は、見てもある程度楽しめるかもしれませんが、作品単体としての強い吸引力には欠けます。

もうひとりの自分がいて、そいつが自分を見つめている。そんな表現として、白いワンピース姿の女性がずっと主人公の自分をビデオカメラで映しているのですが、このあまりにも俗っぽい表現がギドクの初期作らしいです。前作の「ワイルドアニマル」の冷凍サンマでぶっ殺す、みたいなところに通じます。何かの暗喩でしょうが、ちょっと吹き出してしまうようなひねり具合。しかし、ギドクはくじけずにその表現方法に挑戦し続け、磨き上げたんだなあ、というのがよくわかりました。

本作は、ゲリラ撮影でたった1日で撮り上げたということ。まさに実験作ですね。多作、スピード撮影で知られるギドク監督の練習風景を見させてもらったという感じでしょうか。
# by galarina | 2008-11-09 17:40 | 映画(ら行)

按摩と女

1938年/日本 監督/清水宏


「日本人のアドバンテージ」
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石井監督のカヴァー「山のあなた」を見て、オリジナルに興味が湧き観賞。

よく「フレームの美学」なんて言われますけども、日本人の場合、日本人であるというだけで物凄いアドバンテージがあるんじゃないか。本作を見て、そんなことを痛感します。格子戸、障子、襖、縁側…。これらの日本建築に必ず備わる様式は、フレームの端々に配置するだけで、絵画のようにしっかりと収まる。例えば、スクリーン左端に格子戸を置く。スクリーン下側に縁側を持ってくる。それだけで、何とも美しいフレーミングが完成する。障子にもたれかかって、考え事をするという何気ないカットにしても、障子そのものが「こちら側」と「あちら側」の曖昧な境界を作り出すという役割があるため、人物たちの揺れる心が表現できる。

人々の心をざわつかせる「財布が盗まれる」という事件。これにしても、この宿屋の障子が開け放されていたり、子どもが縁側づいたいに行ったり来たりできるからこそ、人々の猜疑心は膨れあがる。この日本建築そのものが持っている「意味」と物語の「意図」が絶妙に溶け合っています。

で、やはりこのフレームの美しさがもたらす余韻、そしてイマジネーションって、カラーよりも断然モノクロの方が大きいんですね。石井監督のカヴァー版よりもそれぞれの登場人物の小さな心の揺れがさらに際立っています。面白いのは「山のあなた」では、物語の振り子の役割を担っていると考えたほどの子供の存在感が、本作ではずいぶん薄く感じられたこと。しかし、逆に徳市の「お客様!」の土下座シーンは、こちらの方が何倍も悲壮感があります。徳市の「俺が助けてやる」という傲慢、「もしかしたら恋仲になるかも知れない」といった希望が打ち砕かれる。そんな徳市の心の動きは、正直「山のあなた」では今ひとつ心に迫りませんでした。どちらかと言うと、温泉宿場での群像劇のようにすら感じられたのです。しかし、オリジナルは奈落の底に落とされた徳市の情けなさ、つらさがラストまで後を引きました。
# by galarina | 2008-11-07 23:12 | 映画(あ行)